中国の日常生活では、「男は左、女は右」という言い方がある。
では、この言葉はどのようにして生まれてきたのだろうか?
伝説によれば中華民族の始祖・盤古(ばんこ)が死んだ後に、盤古の体の各部が変化して、世界を形作る諸物となった。
「男は左、女は右」は古代の人の哲学観と深い関係がある。伝統文化の観念では、宇宙の全ての物は対立した面があり、それは陰陽である。自然界では大小、長短、上下、左右など。古代の人は大、長、上、左を陽として、小、短、下、右を陰と分類した。陽は剛強であり、陰は柔弱である。
人の性格では、男子の剛強は陽に属し、女子の柔軟は陰に属する。「男は左、女は右」は古代から中国医学で診脈する時も違いがあり、男子の場合は左手の脈、女子は右手の脈を診るという。 実は「男は左、女は右」の言い方は、道家の陰陽説からも来ている。陰陽のうち、日の当たる面は陽、反対側が陰。そこから季節の寒暖、方位の上下、左右、内外、運動状態の動と静なども派生して来た。
陰陽学説では、自然界の物事が陰と陽の互いに対立する面を持ちながら、同時に互いに統一性もある。陰陽の対立、統一運動は自然界の全ての物、出来事の発生、発展、変化及び消滅の根本的な原因である。『素問:陰陽応象大論』には「陰陽とは、天地の道、万物の綱紀(規律)、変化の元、生殺の根本」と書かれている。 陰と陽は互いに対立する二つの物事を表し、または一つの物事の内部にある互いに対立する面を指している。一般的に、激しい運動、外向的、上昇、温熱、明るいなどは全て陽に属し、静止、内向的、下降、寒冷、暗いなどは全て陰に属す。
天地にたとえると、天の気の軽く清らかさが陽、地の気の重く濁っているのが陰であり、水と火にたとえると、水の属性は寒と潤いの下降が陰、火の属性は熱と炎の向上が陽に属する。 陰陽学では、「木、火、土、金、水」の五行は陰陽の基本の変化規律である。五行は相生相克であり、絶えず運動し変化し続ける。この陰陽学説は、古代哲学に深い影響を及ぼした。例えば、天文学、気象学、化学、算数学、音楽と医学など、すべて陰陽五行学説に基づいて発展してきた。
周敦頣氏は『太極図説』でこのように述べた。「無極から太極、太極の動から陽が生じ、動の極から静が生じ、静から陰、静の極から動が生じる。静と動は互いにその根(こん)となる。陰陽を分立し、両儀が生まれた。太極から両儀が生まれ、(陰陽)二気の交感で万物が生まれた。万物が生き生きと無限に変化する」これは古代の易学家達の陰陽に対する最も完全な論述である。「男は左、女は右」の概念も伝統文化の一つ、陰陽の表現である。