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「皇」 「帝」 「王」 の称号の意味

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人類の歴史上、一国の君主に対する称号は天皇、皇帝、国王、帝王など種々あるが、これらの呼称に意味の違いはあるのだろうか。 古代中国の三皇五帝時代、君主の称号は厳格に区分されていた。称号には、君主の精神的な境地と国を治める理念が含まれていたのである。

時代とともに変遷する称号

 

古代の中国文化は「神伝文化」と言われる。神が人間に文化を教え、その生活様式を定めた。人間社会の君主は天皇、天帝、天王、天子と称され、神の代わりに人間社会を管理する者だと考えられていた。時代とともに君主の精神的境地と国を治める方法が変化し、それに伴い、その称号も変わっていったようである。

 

今期の人類史上、伏羲(ふっき・ふくぎ)氏、神農(しんのう)氏、燧人(すいじん)氏という三皇が、中国で最初に現れた。この時期、三皇は「無為而治」(人為的なことは必要とせず、天下は自ら太平を保つ)の原則に従って国を治めていた。その後に五帝の時代に入り、黄帝(こうてい)、顓頊(せんぎょく)、帝嚳(ていこく)、尭(ぎょう)、舜(しゅん)という五帝が現れ、彼らは「道徳」を以て国を治めた。更にその後、夏、殷商、周という三王の時代になり、彼らは「仁義」を以て国を治めた。更にその後の春秋時代では、春秋の五覇である齊の桓公(かんこう)、晋の文公(ぶんこう)、宋の襄公(じょうこう)、秦の穆公(ぼくこう)、楚の庄王(そうおう)は「信義」を以て世を治め、武力で覇主を争った。しかし、秦の始皇(しこう)は中国を統一した後、皇と帝を合わせて自らを「皇帝」と呼ばせるようになり、更に漢の高祖(こうそ)劉邦(りゅうび)の時代からは、王朝の功労者や皇帝の子供たちに「王」という称号を封じるようになった。こうして皇、帝、王という称号は本来の意味が無くなり、ただの最高権力者を意味する言葉に変わったのである。

尭(ぎょう)

尭(ぎょう)帝

 三皇の治世

 

皇は天皇とも言う。春秋時代の古書『管子』に、皇は「明一者皇」と記されている。つまり、皇と称される君主は「天人合一(てんじんごういつ)」の理を心得ており、「人間の万物は天の理に従って存在している。敢えて何かをしなくても、すべてこの天の理に従って動けば、自ら治めることができる」という理が分かっていたため、「無為而治」の原則で国を治めていた。

 

その時代の人々は洞穴に住み、動物の毛皮を衣にし、湧水を飲み、恵まれた自然条件を利用して生活していた。みなが純朴な心を持ち、互いに争うことも、管理される必要もなく、天皇の存在意義はただ生活の知識や文化を民に教えるだけであった。

 

『尚書大転』の中にこのような記述がある。「燧人氏は、木を摩擦して火を起こす方法、食品の加熱法を民に教え、人々に光明をもたらし、天皇と称された。伏羲氏は天象を観察し、地理を調べ、八卦を作り、天地人の変化の規則や、網を結んで魚を取る方法を民に教え、人皇と称された。神農氏は農具を作り、農耕の方法を民に教え、地皇と称された」

 

五帝の治世

 

帝は皇の次の称号であり、天帝とも言う。帝は「道徳」を以て国を治め、民を自分の子供のように遇する君主である。後漢の史官である班固(はんこ・32-92年)は『白虎通義(びゃっこつうぎ)』の中で、帝王に関して次のように記した。「道徳観念が天地の法則に合う者は帝と称され、仁義に合う者は王と称されるので、優劣の違いがある」

 

帝は天下の民を導く心があるが、天下の民を自分の私物にする心はなく、王朝国家の概念もない。高い道徳的境地を有する帝は天地の法則に従って民を教化し、正しい道に民を導くことを自分の責務とした。

 

三皇の治世は天道(天の理)に従って行なわれ、五帝の治世は聖人の道に従って行なわれた。つまり聖人たちは、悟った天の理に従って行なったわけである。故に五帝の時代にはすでに善悪の区別があり、基本的な刑罰制度、強制する規定などが定められた。この時期は三皇時代の“普遍的な無私”に比べ、人々の精神的境地はかなり下がった。故に老子は「道(どう)を失ったあと、徳を大事にする」と言った。

 

王の治世

 

王は帝の次の称号で、天子とも言う。『白虎通義』での王に対する解釈は、「王は天命を受けて天下の民を有し、天の代わりに庶民を管理する権限を授けられており、王は天の子供(天子)と見なされて、天に加護されている」とされている。

 

王は「仁義」を以て国を治めた。仁は仁愛の心で善いことを奨励し、義は義理に従って悪いことを罰する。これがいわゆる王道である。

 

王は天子として、何らかの方法で自分の行ったことが天道(天の理)に従っていることを示さなければならないが、皇、帝はその必要はない。彼らの行為は常に天道に合致しているからである。

 

故に王の時代は帝の時代より更に精神的境地が低下したと言える。老子の言葉で言えば、「徳を失った後、仁を大事にする」というわけである。

 

後世の王者はたとえ王や皇と呼ばれていても、その徳を持っていなければ、それはただの名目に過ぎなかった。歴代にも名君がいるが、彼らはやはり徳を以て世を治めたのである。

 

徳を以て国を治める

 

今の人々は、現代社会は古代より進歩したと思っているが、果たしてそうだろうか。

 

現代の人類は本当の神の教えがすでに分からなくなり、神の存在さえ信じない人も少なくない。故に人々は天道に従わないばかりか人道にも背くようになり、互いに争い、戦うことを当たり前とし、徳の有無などに関心もなく、金銭と権力を崇拝の対象にしている。生活の中の不平、不満が多く、不安の要素は社会全体に充満している。この状態が、本当に人間の求めている幸せな社会なのだろうか。

 

人間の長い歴史から見れば、徳を大事にすることこそ人類社会の正しい道である。君主として徳を以て国を治めてこそ、人々に安定した幸せな生活を与えることができるのだ。(大紀元)

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