「矛盾」という言葉は、日本でもお馴染みの『韓非子』の次の故事に由来する。 楚の人に、盾(たて)と矛(ほこ)を売る者がいた。その人が盾をほめて言うには、「私のこの盾は非常に堅く、これを突き通すことのできるものなどない」。そして、矛をほめて言うには、「私のこの矛は鋭く、突き通すことができないものはない」。それを聞いていたある人が、「では、あなたの矛であなたの盾を突いたらどうなるか」とたずねたところ、その人は何も答えることができなかった。そもそも、いかなる物によっても突き通すことのできない盾と、何でも突き通すことのできる矛とは、同時に存在し得ない。(『韓非子・難一篇』より)
韓非子はこの故事を、儒家が中国古代の君主であった堯(ぎょう)と、堯から天子の位を禅譲された舜(しゅん)をともに聖人と崇めていることを批判する中で紹介している。儒家は、舜が世の中の悪いところを改め、良い行いをして人々を助けたから聖人だと言うが、悪いところを改めなければならなかったということは、そもそも堯が民をよく治めていなかったということであり、ならば、堯を聖人と呼ぶのはふさわしくない。逆に、もし、堯が聖人と呼ぶにふさわしい統治ができていれば、舜は悪いところを改める必要もなかったわけであるから、二人の君主がともに聖人であったというのは、話が矛盾していることになる。韓非子はこのことを言いたいがために、上の故事を持ち出したのであった。
(大紀元)