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「忠孝」に関する誤解

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中国では人々が「忠孝」について、次のように理解しています。

「君主が臣下に死を求める時、臣下が死を断れば忠と言えず、父が子を滅ぼそうとする時、子が滅び命を落とさなければ親不孝である」

これは共産主義社会での邪説であり、悪を補助し悪事を働く者たちの口実にすぎません。「四書五経(ししょごきょう)」と「二十五史(『清史稿』を含む)」を調べても、どこにもこのような説はありません。

橋

中国本来の「忠孝」とは

『孟子(もうし)・万章章句(ばんしょうしょうく)』には「斉宣王が大臣について聞く」というくだりが記載されています。

 

孟子:「王様はなぜ大臣の役割を聞くのですか?」

斉宣王:「大臣にも違いがあるのか?」

孟子:「もちろんです。皇族である大臣とそうでない大臣です」

斉宣王:「まずは皇族である大臣について聞きたい」

孟子:「君主に大きな過ちがある場合、直接諫言(かんげん)すべきであり、繰り返しても諫言を聞かなければ、君主を替えるべきです」

 

斉宣王はそれを聞いてふっと顔色が変わりました。

孟子:「王様が顔色を変える必要はありません。王様の質問に私は素直に答えざるを得ません」

 

斉宣王は顔色が元に戻った後、皇族でない大臣について聞きました。

 

孟子:「君主に過ちがある場合、直接諫言すべきであり、繰り返しても諫言を聞かなければ、大臣自らが去っていくべきです」

 

孟子は非常にはっきりと言いました。君主に大きな過ちがある場合、皇族なら直接諫言すべきであり、聞かなければ君主を替えて、民に災いをもたらすこと、また国を危機に陥らせることを避けるべきだと言いました。君主に過ちがある場合(大小を問わず)、大臣は直接諫言すべきであり、聞かなければ大臣が去っていき、悪事を助けて罪を助長してはなりません。

 

『孔子家語・六本』には次のような物語が書かれています。孔子の弟子・曽参(曽子)は歴史上有名な孝行な息子です。ある日、彼は瓜畑で野良仕事をしていた時、不注意で瓜の苗の根を鋤で切ってしまいました。曽子の父親・曽皙(そうせき)は激怒して大きな棒で彼の背中を打ち、曽子が倒れて意識を失うまでずっと打ちました。時がずいぶんと経ち、曽子はやっと意識が戻りました。曽子は喜んで地面から起き上がり、曽皙に聞きました。「先ほど過ちを犯し、父上を怒らせてしまいました。私を力いっぱい訓戒して、疲れたのではありませんか?」

 

曽子は部屋に帰り、琴を引きながら大きな声で歌いました。彼は父親・曽皙に自分が無事であることを伝えたかったからです。孔子はこの事を聞いてとても怒り、弟子たちに「もし曽参が来たら、入らせてはいけない」と言い残しました。曽参は自分には過ちがないと思ったので、孔子に人を送って聞きました。

 

すると、孔子は次のように答えました。「聞いたことがありませんか? 昔、虞舜(ぐしゅん)の父親は瞽叟(こそう)(両目が見えない)で、舜が父親の世話をする時、瞽叟が舜に何かしてもらおうとすれば、いつもそばにいましたが、瞽叟が舜を殺そうとすればいつも探せなかったのです。瞽叟が小さい棒で舜を打てば、舜は黙って我慢しましたが、もし瞽叟が大きい棒で打とうとすれば、舜はすぐに逃げて姿が見えなくなりました。それで瞽叟は親として大きな過ちを犯さずに済み、舜も純朴な親孝行ができたのです。今日、曽参は父親の面倒を見ていますが、体を放棄し、父親がひどく打っても、死ぬほど打っても避けることさえ知らず、そこで曽参が死ねばその父親は不義な者となります。曽参の親不孝に比べれば、どちらが重大ですか? 曽参は天子の民ではありませんか? 曽参の父親が天子の民を殺すのならば、その罪はどうすればよいのですか?」

 

曽子は孔子の話を聞くと、「曽参の罪は大きいです」と答え、孔子を訪ねて謝りました。

 

『旧唐書・志第四』には貞観(じょうがん)唐の14年3月、唐太宗が国子学(中国古代において朝廷の最高学府)に行って「至聖先師(孔子のこと)」を記念する式典に参加した時の事が書かれています。大師・孔穎達の『孝経』に関する話を聞き、唐太宗が孔穎達と「孝・義」について弁論・分析する時、引用したのは『孔子家語・六本』のこの物語で、孔子の意見を尊重しました。

 

これで、人として親孝行をすべきですが、親孝行は無条件に従うことではないということが分かります。親に誤りがある場合は優しく指摘するべきであり、親が激怒して子供を打とうとする時は、状況を判断して、まずは逃げるべきです。親の怒りが収まった頃に戻って謝罪し、取り返しのつかない状況になることを避けるべきです。

 

(中国語)淺析對「忠孝」的一種誤解

 

可能有很多讀者聽過這樣一句話“君要臣死,臣不死是為不忠;父叫子亡,子不亡則為不孝。”其實這是常人中的一種邪說,是那些助紂為虐之徒找的借口。不信你翻翻四書五經,二十五史(含清史稿),沒有這種說法。

 

《孟子•萬章章句》中記載了“齊宣王問卿(大臣)”的一段對答:

 

孟子說:“王為甚麼要問大臣的職能呢?”
齊宣王說:“大臣有不同嗎?”
孟子說:“當然有不同,有貴戚之大臣,有異姓之大臣。”
齊宣王說:“先請問貴戚大臣?”
孟子說:“君王有大的錯誤要直言勸諫,反覆不聽勸諫的,則易位。”
齊宣王一聽勃然變色。
孟子說:“大王不必變臉,您問臣問題,臣不敢不直言對答。”
齊宣王臉色恢復正常后,請問異姓之大臣。
孟子說:“發現君王有錯誤要直言勸諫,反覆不聽勸諫的,則離去。”

 

孟子說得很清楚,君王有大的錯誤,皇親國戚一定要直言勸諫,如果他不聽,那麼可以罷免君王,另選明主;以免百姓遭殃,國家罹難。君王有錯誤(不論大小),臣子都應該直言勸諫,如果他不聽,那麼就辭官離去,以免助紂為虐造下罪業。

 

《孔子家語•六本》記載了這樣一則故事:孔子的弟子曾參(曾子)是歷史上有名的孝子。有一天他在修整瓜地時,不小心鋤斷了瓜苗的根,曾子的父親曾皙大怒,舉起大木棍來擊打他的背,一直打到曾子倒地不省人事。良久,曾子才醒過來,仍然高高興興的從地上爬起來,向曾皙進言:“剛才參不小心做錯事得罪了父親大人,父親用儘力氣教訓參,該不會累病了吧?”

 

曾子退下來回到房裡,操起琴大聲唱歌,想要讓父親曾皙聽到,認為他身體健康無恙。孔子聽說了這件事很生氣,告訴門下弟子:“如果曾參來了,不要讓他進來。”曾參自己認為沒有過錯,派人向孔子請教。孔子說:“你沒聽說嗎?從前虞舜的父親叫瞽叟(雙眼失明),舜侍候父親時,瞽叟想要使喚他,舜未嘗不在身邊。但瞽叟想要殺他時,卻從來都找不到他。如果父親用小棍子打舜,舜就默默的忍受挨打。如果父親想用大木棍打舜,舜即跑的不見蹤影。所以瞽叟沒有犯下不稱職的父親的過錯,而舜也沒有失去淳厚的孝道。如今曾參侍候父親,放棄身體來等着被父親暴打,朝死里打也不躲一下,如果曾參被打死就會陷他父親於不義,他的不孝哪一個大啊?你曾參不是天子的百姓嗎?你父親殺了天子的百姓,那罪過會怎麼樣?”

 

曾子聽了孔子的這些話,說:“參的罪過大啊。”於是拜訪孔子為自己的過錯道歉。

 

《舊唐書•志第四》中記載了唐貞觀十四年三月,唐太宗駕幸國子學(中國古代朝廷的最高學府)觀看祭奠至聖先師典禮,聽經學大師孔穎達講《孝經》;唐太宗在與孔穎達辨析孝義時就引用了《孔子家語•六本》中的這段故事,並推崇孔子的見解。

 

由此可見,做人應該遵循孝道,孝敬父母並非一味的順從;發現父母親有錯時應溫言勸說。父母親暴怒要打子女時,即使不是打自己,也要看情況,發現可能會有危險,先拉兄弟姐妹跑走,待父母親氣消了再回來賠罪。以免出現傷亡事故,陷長輩於不義。

 

現今中國大陸,自從中共竊國后,幾十年來不僅將中華傳統文化內涵破壞殆盡,還篡改經義內涵欺騙國民,致使社會的道德水平一日千里的往下滑,人們對好壞善惡的衡量標準都扭曲了。(正見)

 

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