中国・北魏の時代、房愛東という男がいた。彼の妻は崔氏といい、清河地方の人だった。子供がまだ幼い時から崔氏は自ら二人の息子に「九経(儒教における九種類の経典のこと)」を教え、小さい頃から礼儀正しく、思いやりのある子になるよう育てた。
崔氏の長男である房景伯は清河の太守となった。ある日、貝丘という所の一人の婦人が息子の不孝を訴えに衙門に来た。房景伯は婦人の不孝息子の罪を問おうとしたが、この事を知った崔氏は、婦人を連れて来てしばらく自分と一緒に暮らし、婦人の息子を房景伯のそばに付き添わせましょうと息子に話した。
房景伯が崔氏に礼儀正しく挨拶するたび、不孝息子は少し離れた所でそれを見ていた。すると、不孝息子はだんだん自分の親に対する無礼な態度を恥ずかしく思うようになった。10日経つと、婦人の息子は、自分の過ちを改めたいので、家に帰ると申し出た。崔氏は、「彼は面目がないと思うだけで、まだ心から反省してない。もうちょっと様子を見てみましょう」と言った。20日経つと、婦人の息子は土下座をし、悔しそうな顔をしながら、心から自分を改めたい、母親を連れて帰りたいと願い出た。婦人も泣きながら、家に帰りたいと言った。そこで房景伯は母子を帰らせた。その後、不孝息子は自分の行いを悔い改め、親孝行で有名になったと言う。
崔氏は、息子に刑罰ではなく道徳を重んじて政務を執り、表面だけではなく心から過ちを改めることを教えた。房景伯が政事を上手く管理できたのは、母親の崔氏の躾のお蔭だった。(大紀元)